四川省峨眉山で生まれた「白眉拳」の紹介です。

中国広州でご教授いただいた 広州白眉合勁道武舘 劉強師父

白眉拳

 

嵩山少林寺の修行僧であった「白眉道人」が中国三大霊山の一つ四川省「峨眉山」にこもり創始した拳法。

第二代「掌門人方慧禅師」、第三大「掌門人祝法雲禅師」と代々出家人の手によって仏門の中で秘密裏に伝えられていった。

 

第四代に至って初めて俗家である「張禮泉」が掌門となり、これを機に出家人のみに密かに伝えられてきた白眉拳は世にでることになった。

功成った後、礼泉は故郷の広東に帰り、伯父とともに「黄花崗起義」に参戦した。 

「黄花崗起義」とは「孫文」がマレー半島のペナン島にて「趙声」、「黄興」、「胡漢民」、「鄧沢如」等を招集し、同盟勢力を集結し、広州で「反清武装決起」することを決定した。

事件を起こした「中国革命同盟会」は1905年東京で結成された「打倒清王朝」を目標とする革命団体であった。

 

「黄花崗の役」より生還した「禮泉」は武漢を開設し、教練として軍人にも武術を指導した。

特に、「五行棍」と「大陣棍」は”張礼泉槍術”とよばれ戦時中には大いに役立ったという。

 

1994年香港に居を移した礼泉は武館を設立し後進を指導し、この地で生涯を閉じた。

その一生を武術の研究に捧げた張礼泉の伝は今に伝えられ、「白眉拳」は「洪家拳」、「蔡李佛拳」と並び広東十三名拳の一つに数えられている。

 

かつて「太平天国」の乱で革命家達が使用したカンフー「蔡李佛拳」の紹介です。

下の二つの動画は、私の師である。「羅君傳師父」が香港映画「宗師」にて出演した時の動画です。「蔡李佛拳」の武術指導とドイツ人剣士として映画に出演されています。

蔡李佛拳

 

嵩山少林寺の僧侶「蔡福禅師」「李友山」

青草僧の「佛家掌」の3つの頭文字をとって

「蔡李佛」(さいりーふつ)と名付けられた。

かつて、中国史における大きな戦いであった「太平天国の乱」において、革命家達の間で洪家拳と共に実際に使用されていた拳法である。

 

「鴻勝蔡李佛」の套路には

「太字拳」、「平字拳」。「天字拳」「国字拳」、という套路があり、多人数と戦うことを想定しているスタイルとなっている。

 

映画スターの「ブルース・リー」との関係も深く、彼の残した武術研究ノートには蔡李佛の技術が記載されており、屋上試合という他流派の試合に参加し蔡李佛拳とも戦っている。

 

彼の残した武術研究ノートには蔡李佛の技術が記載されており、多人数と戦うのに最も適したスタイルという言葉を残している。 

 

香港で「龍形拳」が紹介されました。演武 董建光師傅

龍形拳

 

龍形拳は「龍形正宗」とも呼ばれており

「五牧師太」→「大玉禅師」→「林耀柱」という伝承経路をもつ。

 

「龍形正宗」とはじめて名乗ったのは林耀柱」であり彼は清末明初の人で、白眉派第四代「張禮泉」とは親戚関係であったという。

 

このような背景もあり、「白眉拳」と「龍形拳」は風格が似ており、龍のように身体をつかう「波驚勁」という力を用いて「短橋狭馬」という、短い歩法で接近戰を得意とする拳法です。

 

「白眉拳」とは兄弟のような拳法であり、南派拳術を伝える武舘では「白眉龍形」といって

「白眉拳」と「龍形拳」共に学習する会派が数多く存在する。